30th
“Michael Jackson was born in August, 1958. so was I. Michael Jackson grew up in the suburbs of the Midwest. So did I. Michael Jackson had eight brothers and sisters. So do I. When Michael Jackson was 6 he became a superstar and was perhaps the world’s most beloved child. When I was 6 my mother died. I think he got the shorter end of the stick.
マイケル・ジャクソンは中西部の郊外で育ちました。私も同じです。
マイケル・ジャクソンには8人の兄弟姉妹がいました。私も同じです。
マイケル・ジャクソンは6歳でスーパースターになり、おそらく世界で最も愛された子供でした。
私は6歳で母を亡くしました。私は彼の方が貧乏くじを引いてしまったのだと思います。
“I never had a mother, but he never had a childhood. And when you never get to have something, you become obsessed by it. I spent my childhood searching for my mother figures; sometimes I was successful. But how do you recreate your childhood when you are under the magnifying glass of the world for your entire life?
私には母がいませんでしたが、彼には子供時代がありませんでした。
人は何かに恵まれないと、そのものに取り付かれてしまうのです。
私は子供時代を、母親代わりを探すことに費やしました。時々はうまくいったものです。
でも、生涯を通じて世界中から監視されている場合、どうやって子供時代を再現すればよいのでしょう?
“There is no question that Michael Jackson was one of the greatest talents the world has ever known. … That when he sang a song at the ripe old age of 8, he could make you feel like an experienced adult was squeezing your heart with his words. … That the way he moved had the elegance of Fred Astaire and packed the punch of Muhammad Ali. … That his music had an extra layer of inexplicable magic that didn’t just make you want to dance but actually made you believe that you could fly, dare to dream, be anything that you wanted to be. Because that is what heroes do. And Michael Jackson was a hero.
マイケル・ジャクソンが、世界が知り得る最高の才能の持ち主だったことには、疑いの余地はありません。 早熟な8歳の彼の歌声に、胸が締め付けられるような思いをしたり、F・アステアの優雅さとM・アリのパンチ力を持ち、彼の音楽は幾重にも重なる魔法のようです。
踊りたくなるだけでなく、大空を舞い、どんな夢でもかなえられる気になります。
それがヒーローの役目。マイケルはヒーローでした。
“He performed in soccer stadiums around the world, he sold hundreds of millions of records, he dined with prime ministers and presidents. Girls fell in love with him, boys fell in love with him, everyone wanted to dance like him, he seemed otherworldly, but he was also a human being. Like most performers, he was shy and plagued with insecurities.
世界中のスタジアムでパフォーマンスをして、何億万枚も売上げ、首相や大統領と食事をして。
女の子も男の子もみんな彼に夢中になり、誰もがそのダンスに憧れました。
別次元の人のように思えましたが、彼も一人の人間。例に漏れず、シャイで不安定でした。
“I can’t say we were great friends, but in 1991 I decided I wanted to get to know him better. I asked him out to dinner: I said, ‘My treat, I’ll drive, just you and me.’ He agreed and showed up to my house without any bodyguards. We drove to the restaurant in my car. It was dark out, but he was still wearing sunglasses. I said, ‘Michael, I feel like I’m talking to a limousine, do you think you could take off those glasses so I could see your eyes?’ He paused for a moment, then he tossed the glasses out the window, looked at me with a wink and a smile and said, ‘Can you see me now, is that better?’
私は彼と親しかったとは言えないけど、1991年に彼を知ろうと思い、食事に誘ったのです。
「支払いも運転も私。二人きりで」と。彼は警護もつけず、一人で家に来ました。
レストランには私の車で。サングラス姿の彼に言いました。
「リムジンと話してるみたい。サングラスを外して目が見えるようにしてくれない?」と。
彼は少し考えると、窓からサングラスを投げ、ウィンクして言いました。
「見えるようになった?これでいい?」
“In that moment, I could see both his vulnerability and his charm. The rest of the dinner, I was hell-bent on getting him to eat French fries, drink wine, have dessert and say bad words, things he never seemed to allow himself to do. Later, we went back to my house to watch a movie and we sat on the couch like two kids, and somewhere in the middle of the film, his hand snuck over and held mine. It felt like he was looking for a friend more than a romance and I was happy to oblige him. And in that moment he didn’t feel like a superstar, he felt like a human being.
彼の繊細さと魅力が見えた瞬間でした。その後、私は彼にフライドポテトを食べさせ、ワインを飲ませ、悪い言葉を言わせました。彼がしないようにしてきたことをさせたの。その後は自宅で映画を観ました。子どものようにソファに座り、映画の途中で彼は私の手を握りました。
恋人ではなく、友達を求める手のように思えました。私は喜んで応じました。
そのときの彼は、スーパースターではなく、一人の人間でした。
We went out a few more times together and then for one reason or another we fell out of touch. Then, the witch hunt began and it seemed like one negative story after the other was coming out about Michael. I felt his pain. I know what it’s like to walk down the street and feel like the whole world has turned against you. I know what it’s like to feel helpless and unable to defend yourself because the roar of the lynch mob is so loud that you are convinced your voice can never be heard.
私たちは何度か出かけましたが、その後は連絡が途絶え、魔女狩りが始まったのです。
マイケルへの批判が次々に出てきました。私には彼の痛みがわかります。
世界中が敵になったような、あの苦しみ。自分の弁護すらできない無力さ。
群集の怒号にかき消され、自分の声は届かないと思い知るのです。
“But I had a childhood, and I was allowed to make mistakes and find my own way in the world without the glare of the spotlight. When I first heard that Michael had died I was in London, days away from the opening of my tour. Michael was going to perform in the same venue as me a week later.
でも、私には子ども時代があり、過ちを犯しても注目を浴びることなくやり直せました。
最初にマイケルが亡くなったと聞いたとき、私はロンドンに居て、数日後にツアーの初日を控えていました。マイケルは私と同じ会場で1週間後にライブを行う予定でした。
All I could think about in that moment was that I had abandoned him. That we had abandoned him. That we had allowed this magnificent creature that once set the world on fire to somehow slip through the cracks. While he was trying to build a family and rebuild his career, we were all busy passing judgment. Most of us had turned our backs on him.
そのときは、自分が彼を見捨てたということしか考えられませんでした。
私たちは彼を見捨てたのです。私たちは、かつて世界に火をつけたこの雄大な人物が、見過ごされるのを傍観したのです。彼が家庭を築き、キャリアを再建しようとしているときに、私たちの誰もが批判ばかりしていたのです。私たちのほとんどが彼を無視しました。
“In a desperate attempt to hold onto his memory, I went on the Internet to watch old clips of him dancing and singing on TV and onstage and I thought, ‘My God, he was so unique, so original, so rare. And there will never be anyone like him again.’ He was a king.
彼の思い出にしがみつこうと絶望的だった私は、インターネットにアクセスし、テレビやステージで踊って歌う彼の映像を観ました。
そして、”ああ、彼はなんてユニークで、オリジナルで、レアなのかしら”と思いました。
彼のような人は二度と現れません。彼はキングでした。
But he was also a human being and alas, we are all human beings and sometimes we have to lose things before we can truly appreciate them. I want to end this on a positive note and say that my sons, age 9 and 4, are obsessed with Michael Jackson. There’s a whole lot of crotch-grabbing and moonwalking going on in my house, and it seems like a whole new generation of kids has discovered his genius and are bringing him to life again. I hope that wherever Michael is now, he is smiling about this.
しかし、人間でもありました。私たちと同じ人間です。
その真価に気付かぬまま失ってしまうことも。最後はポジティブに締めましょう。
9歳と4歳の息子は、マイケル・ジャクソンに夢中で、家では股間つかみやムーンウォークが大人気。
彼の才能を知った新世代の子どもたちが、彼に再び命を吹き込んでいるようです。
マイケルは、今どこにいてもきっと微笑んでいる。
“Yes, yes Michael Jackson was a human being, but dammit, he was a king. Long live the king.”
そうです。マイケル・ジャクソンは人間であり、キングでした。キング万歳。
ironyもsarcasmも、日本語に訳せば、皮肉である。ところが、皮肉を英語に訳す場合、どちらに訳せばいいかは、文脈により異なる。
今まで、どのネイティブに訪ねても、彼らは、ironyとsarcasmは厳密に違うと主張する。
私の感覚では、ironyは消極的である。起こるべくして起こった事は、ironyに属する。例えば、木こりが木を切っていて、倒れてきた木に押しつぶされて死んだだとか、ぼけ防止には車の運転がいいと主張する人間が、ボケ老人の運転する車にひかれて死んだ場合、それは、ironyである。
一方、sarcasmは、積極的に作り出す物である。例えば、仕事のまったくできないダメ人間に対して、「へぇ、キミはすごいね」と言ったりする類である。
本来の意図とは反対のことを、皮肉として発言するのは、ironyの場合もあるが、大抵はsarcasmである。積極的に反対のことを言うのは、特にsarcasmだ。
偉そうに言うつもりもないんだが、こんな事当たり前だろ?と思うようなことがいい加減にやられていると無性に腹が立つ性格なので一応書いておく。
最近のデジタルDJの普及でDJ業界は混沌としてる。まぁそれは過渡期だから仕方がないことなんだが。そんな事よりも最近俺が非常に不快なのは、現場でDJやるのにMP3とか使ってる奴が多いって事。これが非常に不快な音を出すわけだ。MP3ってのは簡単に言えばでかいオーディオデータファイルの中から「こことここの音はいらないよねぇ。マスキング効果でどうせ耳は聞き分けられないから」ってデータを間引いたものなんだね。いい?元のデータを間引いてるんだぜ。歯抜けな訳だよ。
MP3は勿論俺も携帯プレイヤーに入れる時は使ってる。ご家庭レベルの音量でBGM程度に使ってる分には全然オッケー。これは多くのエンジニアが同じような意見なので間違いない。と言うかBGM程度なら誰も気にとめない。
ところがだ、クラブやイベントなど、大音量の現場で鳴らすとこれがとんでもないことになる。
元のデータをMP3にエンコードする時って16kよりも上の周波数をバッサリLPF入れちゃってる訳ね。高域周波数はデータ量が凄く多いから。他にも歯抜けのように波形を間引いてる。
ご家庭レベルの音量で聞いてると何となくちゃんと聞こえてる(風)だから誰もがMP3を使うんだろうね。まぁ落とし穴だよなぁ。何ででかい音で聞くと音の優劣がハッキリするかというと、答えは簡単。でかい音出すと歯抜けのアラもでかく聞こえるからなのよ。判りやすい喩えで言えば解像度の低い画像を拡大するとギザギザな画像になったりするでしょ?考え方としてはアレと同じな。音を増幅するって事は虫眼鏡で拡大するのと同じ事だから。
そんなことも知らずに、ビートポートからデータダウンロードする時に1$ケチるのか?はたまたファイル交換したMP3をお手軽にそのままプレイしてるのか?は知らんが、MP3でDJやる奴がもの凄く多いのは悲しいが事実だ。DJが音に投資しないでどうすんの?って話よ。ハッキリ言ってMP3大音量で聞かされるほどの苦痛はないのだよ。
と言うか、現場に出てパソコン使ってDJやるんだったらAIFFかWAV以外使用禁止。それくらい音質にもこだわれと。それが出来ないんだったらデータでDJとかやるなって。
だって、DJってお客様に音楽聞いて貰って気持ちよくなって貰うのが仕事でしょ?音質に拘らないでどうすんのよ。せめてCDからリップするならWAVかAIFFにしろよ。wavはデータでかくてHDの容量が足りない?それくらいの金投資しろよ。アフォかと。もっと酷いのはMP3をCD-Rに焼いてCDJでやってる奴。もうね、その音を聴きながらDJやれる無神経さが堪らなく嫌です。
本当にね、DJって音のこと知らなすぎ。自分だってまだまだ勉強中よ。若いモンが勉強しないでどうする?自分が表現に使う道具のこと知らなすぎ。もっと音に興味を持って勉強しないと駄目だよ。選曲やミックスのセンスだけで勝負出来る奴なんて万人に一人くらいしかいないんだぜ。
誠意を持ってちゃんとDJに向き合おうという良心の問題だな。イヤだねぇ。
DmxbloG: ご家庭レベルならいいんだけどね (via representsnsr) (via westbug) (via azsa2go
)
FLACが普及すればいいのになー。
30年40年50年後の「ベテラン」が、はたしてどのようなプレイをどのような箱でどのようなスタイルでプレイするのか……。
(via junkyokohama)
(via tofubeats) (via tsuda)ほんと?僕の理解は逆だな。オーディエンスがMP3で、ちょっと良い機材(といってもアップルのインナーイヤーイヤフォン程度)を使っているときのほうが、クラブやライブハウスや野外フェスといった環境でなっている音よりも、ずっとクリアーでは?クラブ等では、オーディエンスの耳にとどこまでに環境にあるものの鳴りが非常に強く影響する。特に20とかから100ヘルツとかの低音や8000以上の高音(mp3とかでは16000ヘルツくらいからずばっと着られるわけだが)はキレイにはとどかない。自分は8000、100、1万の周波数のサイントーンをかなり正確に聞き分けられるし、ピアノがポロンと成ったときにそれが400hピークで4000くらいまで自然に減退しつつ不自然に1000-3000くらいが4デシベルけずられてて8000以下はざっくりきってありますみたいなことがわかるくらい実験を繰り広げてきた。音の輪郭が、クラブとかできくと、「原曲と全然ちがってボコボコだけどカッコイイ」と思ったことはあるが「さすがクラブだから明瞭だな」と思ったことはない。むしろ「すげーなこの箱12000以上は完全に混ざってる」って感じ。mp3がcd程度の16,44.1程度と比較してほかの要因より有意な影響を持つとは考えにくいし、実体験的に比較しても、それはないなと思う。
追悼 江畑謙介さん: 雪斎の随想録 (via kuwataro) (via ninjatottori) (via jinon)
戦争は学べば豊饒な領域ですよ。私は以下のような書物で友人と勉強しました。「日本では、軍事評論というのは、余りにも政治的なバイアスが掛ったものであるか、オタク的な趣味の反映であるか、あるいは「自分の経験」に依って語られるものであるかの何れかであることが多い。」というのは我々も認識していたので、できるかぎり戦争にまつわる個々のガジェットに対するフェティシズムは離れ、大局的・俯瞰的に知識を得ることを目論みました。
最近のエンジニアは、リーダーのような責任を持たされる立場にはなりたくない傾向があるように感じます。確かに、責任のある立場になると、面倒な仕事も増えますが、それ以上に、モノづくりに対してこだわれる領域が一気に広がるというメリットがあることに気付いてほしいですね。プロジェクトの末端で開発しているうちは、責任がない代わりに、モノづくりにこだわれる領域もほんの一部にすぎません。つまり、リーダーになると、責任とともに権力が生じます。その権力を自分がプランしたモノづくりのために使うことができるのも、大きな魅力ではないでしょうか。エンジニアという、モノづくりにこだわる仕事を目指しているのであれば、リーダーという役割をあえて避けるのは得策ではないと思います。
わたし自身、責任者の立場になってから、自分のやっているモノづくりの価値が見えるようになりました。それまでは、いま自分の開発しているものに一体どれだけの価値があるのか、それがどう成果につながるのか分からずに、どこか納得できないまま仕事を続けていました。末端のエンジニアではなく、モノづくり全体の流れを理解して、それを自分でコントロールしたいと思ったことも、わたしがendeworksを立ち上げた理由の1つです。